ロボットは人間の友達となり得るのか
IT技術が進んでいくにつれて、ネット世界の拡大やネットワーク技術の普遍化、 VR(バーチャルリアリティ)といった分野がめまぐるしく進歩していってますね。 それでも空を走る車や宇宙への旅、どこでもドアなんてのはまだまだ空想の世界で ...
投稿日 : 2017.08.29 | カテゴリー : 雑記
「無駄な経験なんてない」
という意見はその通りで、今まで経験したことが連鎖のように以外なところで役にたったりするものです。
とは言えやはり役に立たなかった事はあるかもしれないけれど、それはそれで人間は忘れてしまう生き物なので「役に立たなかった」という記憶ごとその事を忘れてしまうのでしょう。
無意味な記憶ならば忘れてしまえばよいわけですが、街中には「役に立たない」のに「そこにあるから忘れようとしても忘れられない」無意味な建造物があちこちで散見されています。
たとえばこんなの。
もしかしたらかつては意味があったのかもしれない。
けれど、今ではどう見てもまったくもって意味をなしていないその建造物は
「超芸術トマソン」と名がついて親しまれています。
“超芸術トマソン(ちょうげいじゅつトマソン)とは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。”
出典:wikipedia
階段やエスカレーターなんかは、ハリーポッターシリーズに登場する壁の向こうの駅、「9と3/4番線」みたいな世界が広がっているのでは?なんて妙にワクワクする気分に駆り立てられたりして、なかなかにロマンを感じたり感じなかったり。
ちなみにトマソンの由来は元プロ野球選手のゲーリー・トマソンの由来するとのこと。
トマソン氏は全くもって成績が伴わないにも関わらず、野球において重要ポジションである四番打者に長く置かれた事で、
その状態が「無用の長物」という概念と結びついて、晴れてトマソンの名を拝借することになったのだそうで。
本人にとっては実に不名誉な名前の使われ方ではありませんか。。。